2022年総括【文学】

こんにちは。

好きな言葉は晴耕雨読、嫌いな言葉はフリーサイズ、プロムナードギャラリーがお送りしています。

2022年総括読書編です。

全然読めなかったので反省しています。

 

【凡例と注記】

・「New Commer」は私自身が2022年に初めて読んだ作家の本です。

・「Yester Hits」は、私が2021年以前から読んだことのある作家の作品です。

・ネタバレまみれです。読む可能性のある作品の部分はとばすことをお勧めします。

 

A. 日本文学

1. New Commer

(1)凪良ゆう 流浪の月

設定が特殊なので登場人物の心情も先の展開も予測できず、続きが気になって1日で読み終わった。

最後の10頁くらいで一気に種明かしするびっくり箱的な小説じゃないのがよかった。驚きの要素はあったけど、題材に伴う重みがあったので納得感をもって受け止められる。

特殊で重い題材も優しく繊細な視点で書かれているので感情移入できるし、ビターになりすぎず希望のある終わり方なので、多くの人に受け入れられる理由がわかる。

(2)白洲正子 鶴川日記

テレビで白洲次郎・正子夫妻の特集番組を見て、この本を借りてきた。

夫妻はお互いに上流家庭の生まれで美男美女、東京の一等地で生活していたが、先見の明で戦火を逃れて鶴川へ移住し、妻の正子氏は研ぎ澄まされた審美眼で美術品の蒐集にのめり込んでいく。

邸宅で繰り広げられる文化人同士のハイレベルなやり取りや、豊かで満ち足りた交流の模様に圧倒された。こういう人が日本に生きて、確固たる美意識とおおらかな人柄でもって、自宅をサロンのように解放し、文化的交流を育んでいたという事実にただ感動。

 

2. Yester Hits

(1)川上未映子 夏物語

川上未映子の小説は読み始めたら最後、剥がすと痛いとわかっているかさぶたみたいに気になって、最後まで一気に読んでしまう。

今回は貧しさについて考えさせられた。貧乏であることのリアルな質感が言葉で表現されていてさすがだなと思う。

お金がない暮らしについて、否定も肯定もしないところが良い。貧乏でも裕福でも毎日は変わらず流れていくし、調子のいい日も悪い日もあって、そういう点ではみんな平等だと思った。

でも最後の方で、昔住んでいた古いアパートに行くシーンは意味もなく泣けた。貧しさそれ自体に、絶対的な悲しみが含まれているように思う。

(2)村田沙耶香 地球星人

社会の中で日々感じてはいるけどなんとなく見ないふりをしている違和感やストレスを、根っこごと引き摺り出して町中を練り歩いたあと、公衆の面前で股裂きにするみたいな小説を書くよね。

今回は引き摺り出したあとの展開に現実味がなかったので、個人的には奇想天外小説か〜と一歩引いてしまった。

(3)川上弘美 某

自己の認識がちょっと薄い人の話かなくらいに思っていたら、本当に何者でもないものの話だった。

自己認識をテーマに共感を呼ぶ話ではなく、人間では共感できない何者かの話なのが良い。

環境への執着のようなものから人間に変化する個体もいて、オチとしてはそこになるのかとも思ったが、人ではないものが執着を覚えて人間になるという状況に対して「そうか〜」以外の感想がなく、フラットな気持ちで読了した。

川上弘美人間性全捨て小説は、プラスでもマイナスでもない読後感によるかすかな不安と独特のおかしみがあり、しばらくするとまた読みたくなる。

(4)長田弘 食卓一期一会

最近まで詩を読む機会がなかったが、同じ著者の「本を愛しなさい」を読んでから興味が湧いている。

長田弘の詩集は何冊か読んだが、今回も良かった。食べ物のことを書いた本を読むと「美味しそう」「料理のモチベ上がった」みたいな感想になりがちだけど、この本は美味しそうな描写にとどまらず、背景に異国の情景や心の機微が描かれており、食べ物や食べる行為を通した文学的表現の性格が強かった。

料理をしようという気にはならないものの、感情に訴えかけるものがある。

3. 再読

(1)庄司薫 ぼくの大好きな青髭

いつ読んでも悲しい。薫くんシリーズ四部作の中でこれが一番切なくて好き。

私が一番自分に近いなと思う登場人物は薫くんでもシヌヘでもなく、「十字架回収委員会研究会」の人たち。ほぼ同じスタンスで生きてるので、くどくど弁明するシーンを読むと舌噛んでしんじゃいたくなる。

学生運動については小説と映画でしか知らないけど、それが正しいことだったかどうかは別にして、運動に参加した学生のメンタリティには共感する部分がある。私も「マルクス主義が〜」みたいな話をして、頭いいかんじを出したいもんね。

小難しい本を読んで知識をひけらかす自意識の強さに、密かにシンパシーを感じます。

運動自体は不完全燃焼で収束したし、大勢の死傷者を出したことについてはコメントのしようもないけど、当時の学生が運動に夢中になった理由はなんとなくわかる気がして、学生運動をテーマにした作品が好きなんだと思う。

(2)村上春樹 回転木馬のデッド・ヒート

些細なきっかけから決定的な欠陥に気づくけどどうすることもできず、破滅したり受け入れたりやり過ごしたりする話(要約)。

記録によればこの作品は大体5年スパンで読み返しているんだけど、読むたび感想が変わるので時の流れを感じる。

一番最近の感想としては、健全に生きることの難しさを感じたというところ。この短編ほどではないにしても、毎日生きる中で小さな妥協や綻びがたくさんあって、そういうのをどれだけ潰せるか、全部じゃないにしても大事なところを守れるかというところだと思う。

村上春樹の「運命の分かれ目」的描写って感覚的にすごくわかる。1Q84の冒頭で、ヒロインが高速道路の非常階段を降りたことでパラレルワールドに迷い込むところとか、小さい行動の変化がその後の運命を(大体悪い方に)大きく変える、という描写。

この作品でも、直接的に悪ではないが確かに正しくない行動が前提にあって悪いことが起きている。問題が何なのかぼんやりわかっているのに、意識的・無意識的に見て見ぬふりをしている気持ち悪さを感じる。年を経るごとにその気持ち悪さが身に迫ってくるので、これが大人になるということかと思う。

(3)村上春樹 海辺のカフカ 上・下

久しぶりに読み返して、最初に読んだときとずいぶん違う感想を持つようになった。

昔は、佐伯さんが本当に母親だったのか、さくらは本当に姉だったのかが気になって考え続けた結果、どちらも違うだろうという結論に達した。今は、本当にどうだったかは問題ではなく、そうであったかもしれないという可能性が問題なのではないかと思っている。カフカはこれから誰にも囚われず自分の人生を生きるわけだし、その未来は過去の因縁とは切り離されたところにあるものだと思うので。

初めて読んだ時から変わらずに好きなところは、主人公が人里離れたコテージで淡々と過ごす場面。本を読んだり決まった運動メニューをこなしたりして、静かに規則正しく暮らすところがなんともいえず清々しい。案外本筋とは関係のない描写に心を打たれることが多い。

(4)村上春樹 スプートニクの恋人

なんとなく夏から秋にかけて読みたくなる話。ちなみに海辺のカフカは夏に読みたい。世界の終りとハードボイルドワンダーランドは冬、ねじまき鳥クロニクルノルウェイの森は秋、カンガルー日和は4月。村上春樹カレンダー。

前に読んだ時はすみれが帰ってきた喜びで忘れてたけど、今回読み返して結局ミュウの半身が戻ってこないまま話が終わるところがショックだった。

村上春樹の小説は絶対的な善と悪が対立する構図が多く、そこがわかりやすくて好き。実際に起きた事象との因果関係は説明されないけど、感覚的に悪い連鎖と良い連鎖があることがわかる。受け持ちの児童の母親との不倫のように解決されるものもあれば、ミュウの件のように未解決のまま終わるものもあり、そこは単純じゃないのも良い。



B. 外国文学

1. New Commer

(1)リチャード・ブローティガン アメリカの鱒釣り

2022年はブローティガンとの出会いの年だった。

今までなぜ読んでこなかったのか。高校の時に読んでいたら「バイブル」と呼んで憚らなかったと思う(恥ずかしい)。

ヘミングウェイやカーヴァーの作品を読んでいると、父と息子で釣りに行くシーンが結構な割合で出てくる。みんな釣りが好きなんだなぁとぼんやり思っていたけど、この本を読んで理解した。釣りはアメリカ人の心の原風景なんだね。

地域によるとは思うけど、田舎で育った男性なら少年時代の遊びの定番は釣りなのではないか。あらいぐまラスカルでも、スターリングは暇さえあれば釣りをしていた(日本人並感)。

飄々とした文体で、終始アメリカの鱒釣りが語られていて興味深かった。アメリカのこころに近づけたような気がする。

(2)リチャード・ブローティガン 西瓜糖の日々

2022年に読んだブローティガンの作品の中ではこれが一番好きだった。

すべてが西瓜糖で作られた、アイデスという架空のコミューンの話。

外界のものを受け入れず、最低限のもので幸せに暮らすアイデスの住人と、アイデスを出て外に別の共同体を形成した反乱分子と、人間を食べてしまう喋る虎の三種類の立場がある。それぞれが何を暗示しているのか明確にわかるほどの知識はなかったけど、70年台のヒッピー文化を表しているのかなとぼんやり理解した。

時代背景的にも青髭と通ずるところがあるのでは。虎はシヌへを食い物にした大人たち的な立ち位置なのかな。人間、やりたいことだけやって生きていくことはできなくて、理想と現実の残酷なギャップを、青髭では写実的に、西瓜糖では象徴的に描いているというところか。

(3)ローレンス・ブロック編著 短編画廊

何年か前、レストランの店内でエドワード・ホッパーの「ナイトホークス」という絵を見て一目惚れした。

安いコピーを部屋に飾ろうかと思ったが、買う前にホッパーのことをもっと知りたいと思い、この本を手に取った。

アメリカの作家がホッパーの絵をモチーフにして書いた短編が20本弱収録されている。知っている作家はスティーブンキングだけだったけど、知らない作家の作品も含めて面白かった。

写実的かつ幻想的な絵の矛盾とそれに伴う不安を掬い上げて、ストーリーテリングの力で納得のいく形に昇華していく作家陣の手腕。芸術と芸術のぶつかり合いがアツい。

ナイトホークスについての短編は個人的にあまりピンとこなかったので、絵はなんとなく買っていない。ホッパーの違う絵を買うかもしれない。

(4)コンラッド大岡昇平フロベール 闇(百年文庫)

会社の近くの図書館を開拓していて、百年文庫のコーナーの中から一番気になる巻を借りてきた。コンラッド大岡昇平フロベールも読んだことがなかったので勉強になったし、改めてこのシリーズの編纂をする人のセンスはすごいと思った。

特にコンラッドの「進歩の前哨基地」を闇に分類しているのがすごい。話の舞台は南国で明るい感じすらあるのに、そこに赴任した白人の驕りと先住民の底知れない思惑が干渉しあって悪が増幅していく様がまさしく闇。

(5)リチャード・ブローティガン 芝生の復讐

ブローティガン3冊目。鱒釣りと西瓜糖が刺さりすぎて、図書館にある訳書を目についたものから借りていった。

村上春樹を筆頭に、皮肉たっぷりで軽妙な文体の作家が好きな傾向にある。

この前どこかで「20代後半にブローティガンを読んで影響を受けた」と村上春樹が話している記事を読んで、やはり、と納得した。

村上春樹も言っていたけど、文体をそのまま伝える形で翻訳する訳者がすごい。ブローティガンの直近の訳書は藤本和子さんが手がけているが、ちょっとした言い回しがお茶目で印象的で、限りなく原書に近いニュアンスで読ませてもらっているんだろうなと思う。

(6)リチャード・ブローティガン 不運な女

ブローティガン4冊目。2022年に読んだブローティガンはこれで最後。図書館で読める訳書はもう少しありそうだったが、作者の死因(自殺)を知ったことと、それを知った後でこの本を読んでそこはかとなく悲しくなってきてしまったので、これ以上読めなくなってしまった。

好きな作家の晩年が暗すぎる。

(7)ナサニエル・ウエスト いなごの日/クール・ミリオン

ブラックユーモアで正しく笑えたことがない気がする。この話も自分的には正しく悲劇だし、どこにおかしみを見出せば良いのかわからない。

いなごの日:群衆の熱狂が画家を志す主人公の視点で絵画のように描写されるところが良かった。

クール・ミリオン:寓話的要素があるとはいええぐすぎる。主人公がかわいそうな目にあいっぱなしで報われないまま終わるし、そのことに対する特段の教訓もない。暴力的な不条理小説。

あとがきで柴田元幸村上春樹が「この人は自分が何をしたいのかをよくわかっていないかんじがありますよね」「ね」というような対談をしていて、なんだかもう総合的に悲しくなってしまった。

2. Yester Hits

(1)レイモンド・カーヴァー 英雄を謳うまい

作品を楽しむ上でも作家としての来し方を知る上でも、ファイアズの方が面白く読めた。これまでどこにも収録されてこなかった作品を集めた本だったので、読書メーターでみんなが書いていたとおり玄人向けだった。

ソーダクラッカーズ」という詩は好き。カーヴァーの不穏な世界観が好きだけど、苛立ちや不安を描いた作品の合間にこういうポップな詩があるとほっこりする。

(2)ヴァージニア・ウルフ ヴァージニア・ウルフ短篇集

この前に「幕間」を読んだ時も理解が追いつかなかったが、今回も難しかった。

イギリスの慣習に関する知識とイギリス人的共通認識がないと、いつまでも理解できないだろうと思う。

かろうじて一番最初の短編は理解した。親しい人との合言葉と、それにまつわる温かな感情が徐々に失われる悲しさ。いつまでもラピンとラピノヴァではいられないんだな。。

(3)レイモンド・カーヴァー 頼むから静かにしてくれⅠ・Ⅱ

読みやすい作品が多いが、すぐ理解できるゆえに作品のビターな雰囲気にちくちくやられてしまう。

不穏な話は好きだけど、自分の中で落とし所を見つけられないと、気持ちがその方向に際限なく引っ張られてしまう。この本にはそういう作品が多かった。これに落とし所を見つけられるようになるのはまだ先のような気がする。

高校の時に村上春樹が好きな延長で「愛について語るときに我々の語ること」をなんとなく理解して嬉しくなり、大学に入ってすぐ「ウルトラマリン」を読んだが詩に馴染めず、その後も「象」を読もうとするも途中で断念し、長らくカーヴァーからは離れていた。それが社会人になってからなんとなく手に取った「ファイアズ(炎)」が予想外に刺さって、そこから手にとるようになった。面白く感じるものもあればそうでないものもあったが、1冊に1作品は必ず好きだなと思う作品が入っているので、これからも懲りずに読んでみようと思う。これまで理解できなかった作品も、今読んだら違うかもしれない。

そのように開拓と再構築を続けているうちに、カーヴァーのファンになっているような気がする。

3. 再読

(1)サリンジャー 大工よ、屋根の梁を高く上げよ / シーモア-序章

全然進んでいないが、バナナフィッシュというアニメの各話タイトルになった小説を読んで、アニメの内容と比較して考察する試みをしている。

1話のタイトルが「バナナフィッシュにうってつけの日」だったので、グラース一家シリーズの復習をかねて再読。

シーモア-序章は何度読んでも読みづらい。シーモアの思想についてこんなに長々書いてるのに、短編1本であっさり自殺させるのは読者に対して残酷な仕打ちだと思う(シーモアの自殺の理由を虚ろな目で四年以上考え続けている)。

大工よ〜は次男のバディが語り手でそれ以外のグラース家の人は登場しないものの、不在が逆に存在感を際立たせていて面白い。よく考えたらサリンジャーはグラース一家が一堂に会している作品を一つも書いていない。家族の誰かがそこにいない誰かについて話題にする台詞とか、家に置かれたままの兄弟の私物とか、そういう描写だけで在りし日を想像させる。騒々しい一家団欒の様子が手にとるように伝わってくるのに、実は読者の誰もその現場には立ち会っていないのである。。

(2)サリンジャー フラニーとズーイ

3の(1)と同じ理由で再読。

この本を読むと、気に入らないものをリストアップした紙で人型を作って丑三つ時に釘で打ちつけるような生き方をやめて、今目の前にある良いことにフォーカスしようと思えてくる。